この言葉を聞いて民衆はどう思うだろうか。
「働かない時点で負け組だ!」とか
「底辺の分際で何を言う」とかその程度であろう。
私は無職としてこの愚鈍かつ浅ましい考えに真っ向から否定してみせよう。
否定するに足る理由は大きく二つある。
1つ目は「資本主義であるが故に無職は勝ち組」ということだ。
かの有名な経済学者であるマルクス氏の本である「資本論」では資本主義社会をこう説いている。
「資本主義社会の中においては、人やカネに働かせる資本家と、労働力を商品として資本家に売るしかない労働者の2つに分かれる」
この論理からすれば、一般人に勝ち組とされる医者、弁護士、官僚等、これら全ては労働力を商品としている負け組へと成り下がる。
しかし無職はどうだろうか。
国民に働かせる生活保護受給者、親に働かせるニート、カネに働かせる投資家等、全ての人やカネに働かせている。
おお、なんということだ!
資本主義社会では無職は資本家階級であり勝ち組ということになる。
2つ目は「無職は足るを知っている」ということだ。
これを読んでいるあなたは「足るを知るものは富む」という言葉を知っているだろうか。
「足るを知るものは富む」は古代中国の書物「老子」の第33章に収められている言葉だ。
この言葉が意味するは、「満足することを知っている人はたとえ貧しい状況にあっても精神的には豊かである」ということである。
これを踏まえ、労働者と無職を場合分けして考えてみる。
労働者は競争社会に生きなければならない。それにより、人より良い給料、人より良いポスト、人より良い物、人より良い女等、次から次へと欲しいものが出てきてしまうのだ。
競争社会に生きる限り”足る”を知るということがなく、「もっと」「まだ足りない」「更に上に」と、際限なく欲してしまうのだ。
このように、労働者は永遠の渇望の中生きている。これを”苦痛”や”心の貧しさ”と言わずなんというのだろうか。
しかし、無職には競争という概念すらない。それにより人と比べることがなく、際限なく欲することも無い。”足るを知っている”のである。これにより労働者が直面する”苦痛”や”心の貧しさ”は無職には一切ない。
ただ、存在するのは現状に対する満足と、心の豊かさである。
正に、「足るを知るものは富む」のである。
いかがだっただろうか。
ここまで無職は負け組という考えを否定してきたが皆はご理解頂けただろうか。
理解できなかった人はそのまま労働者として我々に貢ぎ続けていて欲しい。
それもまた1つの生き方だ。
だが、私の考えを理解出来た人はすぐさま仕事をやめて無職という名の特権階級に来て欲しい。
私は”上”で待っている。
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